ホホホの森たんけん隊のノートブック

ホホホの森探検隊は盛岡城跡公園(岩手公園)を舞台にした遊びを極める活動です

七里長浜のビーチコーミング(その1/drifters)

津軽の七里長浜にビーチコーミングに来るのは何回目だろうか? 記録を調べてみた(その2で後述)。もう何回も来てると思ってたけど、今回で6回目だった。2019年以降、ワンデイトリップ含めた津軽旅行が13回にも達しているので混同していた。

そのビーチコーミングについて書いてみようと思う。

七里長浜出來島埋没林での夕陽(2022.11.12)


ビーチコーミングを訳す適切な日本語がない。
砂浜海岸 beach で櫛で髪をとかす combing ように、貝殻などさまざまな漂着物を拾い集めて観察しながら散策することとされる。本来の意味は、浜辺で売り物になりそうな漂着物を拾い集めることとされる。
Wikipediaによると骨董の世界では「海揚がり」と呼ばれたり、古くは「浜あるき」「灘ばしり」とか言って、浜辺に打ち上げられた魚介類や漂着物を拾って再利用する習慣は、ごく一般的に大和民族蝦夷アイヌが行ってきた生活習慣の一部であったらしい。

しかし、いろんなものを調べてもほぼほぼそれ以上のことは書いていない。

ja.wikipedia.org

 

七里長浜出來島埋没林の流木中心とした漂着物(2022.5.6)

 

ビーチコーミングは、あくまでもその名に示すよう、漂着物採取が大きな目的だし、もちろんそれは否定しない。しかし、何か大きなことを忘れていないだろうか?

それは何かと言うと、海岸を歩く行為そのもの自体 である。それは古くから行われていたという「浜歩き」に通ずる。

山登りで登路を進む先には山頂があり、その過程の山歩き自体が大きな目的になるように、或いは魚釣りが目指す大物釣りには、釣りを通して得られる魚との駆け引きが重要なように、ビーチコーミングで得られる漂着物に行きあたるためには、海岸を歩く行為そのものが重要になるのである。

 

七里長浜マグアビーチの漂着物(drifters)(2020.11.20)
雑然とした大量の漂着物と水平線上の大気の清廉さを示す光芒(Jacob's Ladder)が好対照

 

歩く過程でいろんなことに遭遇する。
山歩きでは困難な斜度、毒虫、汗、風雨、危険植物、疲労他障害物がたくさん、
魚釣りでは根掛かり、水濡れ、竿と糸の扱い、外道による餌の横取り他にたくさん、
ビーチコーミングでは押し寄せる波、打ち上げられた魚の死骸、容赦ない日射、歩行困難なプラスチックごみや流木の障害他たくさん。

様々な障害に打ち勝ちできるだけ効率よく目的の成果を得るには、足の運びのちょっとしたコツを見つけたり、身体の動かし方を工夫したり、進む経路を見極めたりと、実は無意識ながらやることが山ほどあるのである。だから無心になってそれらの事態に対処しなければならない。このような無心になれる行為に身を置くことによって、我々は日々のストレスから解放されるのである。

だからビーチコーミングの重要で本質的な側面である歩くことを、もっと自覚しなくてはいけないのだ。

 

いや、意識しながら歩けというのではない。むしろそんなことをしたら何のためのビーチコーミング(漂着物拾い)か分からなくなってしまう。
ただ、ときたま漂着物を探す手と足と目で追うのを止め、水平線に眼を上げてみよう。一瞬自分がどこにいるか分からなくなるだろう。
頬を撫でる風を感じてみよう。目を下にしているときとは気が付かなかったやさしさときびしさを感じるだろう。
波の動きを目と耳で追ってみよう。太古の昔からたゆみのない地球の躍動がそこに息づいているのを感じるだろう。

この感覚はかなり新鮮な体験である。歩き始めたところから遠くそこまでやってきたことをそこで初めて自覚するのである。

そして海岸を歩いていてふと我に返る体験をしたことがあるあなた! 貴方は、ビーチコーミングにはまって(浜って)しまったことを思い知らねばいけないのです。

 

youtu.be

 

しばしば海岸では大気光学現象も目の当たりにします。これはビーチコーミングやっている者にとって、海岸歩いて我に返る瞬間、いやそれ以上の歓びの瞬間でもあります。

youtube.com

 

 

閑話休題、今回(2023.5.3)の成果は、、、

左:拾ったpebbles、中:黒曜石礫、瑪瑙、緑色片岩のかけら、右:シグナル礫
出來島海岸で拾った漂流物とその出來島海岸で見つけたObsidian pebble(黒曜石礫)

 

七里長浜マグアビーチに集まったホホホの森探検隊 Seven drifters(七人の放浪者たち)

 

そういえばオードリー・ヘップバーン主演の映画「ティファニーで朝食を」の挿入歌に♪ムーンリバーって有名すぎる曲があるけどその中にこのような一節がある。

Moon River, wider than a mile,
I'm crossing you in style some day.
Oh, dream maker, you heart breaker,
Wherever you're going I'm going your way.
 
Two drifters off to see the world.
There's such a lot of world to see.
We're after the same:
Rainbow's end, waiting 'round the bend,
My huckleberry friend,
Moon River and me.

言わずもがな、Two drifters ってマーク・トウェイン作の小説に出てくる放浪者トム・ソーヤーとハックルベリー・フィンのことだけど、ホホホの放浪者たちが流木(drift wood)を拾い集めている光景を見て、どうしてもこの曲が脳内再生されてしまうのである。

 

www.youtube.com

 

余談ですが漂着物学会ってのが薩摩隼人の地、鹿児島大学にあって、それなりに活動しているようでなんかちょっとうれしくなります。その会長の方が作った「漂着物学会」の造語を driftology って名付けていて、我が意を得たりの感あり。

drift-japan.net

 

では今日はこの辺で
えっ、ホホホの森探検隊とビーチコーミングと何が関係あるかって?

 

フフフフフ(その2に続く)