ホホホの森たんけん隊のノートブック

ホホホの森探検隊は盛岡城跡公園(岩手公園)を舞台にした遊びを極める活動です

七里長浜のビーチコーミング(その2/Geography 最果てのジオグラフィ)

七里長浜のビーチコーミング(その1/drifters)を2023年5月3日に書いてからもう半年以上経ってしまいました。11月11日に七里長浜への再訪を計画していたのですが、その週末天候が冬型に転化し、津軽の地に初雪を降らすばかりか、強烈な西風が予想されたので、海水とみぞれ混じりの横風を受けながら海岸を歩くのは危険が大きすぎると判断して止む無く中止しました。
計画では4家族計10人の Drifters(或いは津軽 pebble club)が集う予定だったのですが来春に持ち越されました。

しかし、12月中の旧暦10月中の小春日和の日にうまく休みが重なれば、津軽 pebble club のメンバーには申し訳ありませんが、密かに日帰りで七里長浜を訪ねようと画策しています。ねらい目は12月第2週!(ごめんYOUくん → 11/27に行ってきた

2023年11月11日、正午の津軽半島に吹く北北西の風は10m/sにも達した
「earth-地球の風・天気・海の状況地図・世界の風・日本の風」よりキャプチャ画面をGIFアニメ化


ところで、この半年のオフラインコーミングの間に、七里長浜が置かれている地形地質的なバックグラウンドとか、卓越する季節風と海流がもたらす作用について考えをめぐらし想像が暴走する一方、文献にあたるなどして一定の知見を得ました。それについて「七里長浜のビーチコーミング(その2/ Geography 最果てのジオグラフィ)」と題してまとめてみました。
その内容を以下の階層項目別にまとめてみます。

1.ビーチコーミングとホホホの森探検隊
 (1)打ち上げられた石(pebble)たち
 (2)流木(drift woods)たち
 (3)生物活動の痕跡(shell , coral)たち

2.七里長浜の自然環境を規整しているもの
 (1)海流
 (2)卓越する風
 (3)砂丘が維持される環境

3.海洋環境の特殊性
 (1)対馬海流
 (2)石(pebble)が常に供給される環境
 (3)氷河期と遠浅海岸

4.卓越風の特徴
 (1)風の強さ
 (2)砂丘のでき方

5.地形・地質の特徴
 (1)砂浜の維持
 (2)縦列砂丘
 (3)地質

6.漂着物の供給場所
(1)黒曜石
(2)錦石
(3)珪化木
(4)流木
(5)プラスチックごみ
(6)古生代の化石を含んだ礫

7.七里長浜という土地のポテンシャル

(1)僻地の潜在価値
(2)強風が育む風景
(3)カッチョと奈良美智
(4)太宰治の「津軽
(5)堀淳一の「地図を歩く」
(6)奈良作品への影響
(7)亀ヶ岡遺跡の遮光器土偶、壮大な贋作歴史書東日流外三郡誌が生まれる背景

磯松海岸のカッチョ(左が作物を守るカッチョ、右が錦石などのpebblesが採れる磯松海岸の浜辺、奥にはほぼ南に位置する岩木山が見える)
※カッチョ;冬の季節風から家や作物を守る板壁
藤枝地区のカッチョ:http://machinokatachi.main.jp/02/02_fujieda.html
文化的景観としてのカッチョ:https://core.ac.uk/reader/230323370
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ホホホの森探検隊 北のクラフトフェア2023

北のクラフトフェア最終日子どもスタッフたち

久しぶりのブログ更新です。

10月7・8日の「北のクラフトフェア」での「箱庭・枯山水ワークショップ」と「ネイチャーアートゲリラ、借景箱庭ゲリラ」は無事に終わり、初日は箱庭、ゲリラ併せて95名、2日目は134名の参加を頂きました。昨年を上回る実績に安堵するとともに、みなさんのご協力大変感謝申し上げます。
特に箱庭に関し、去年より増えてほしいが去年より忙しいのは御免と、自分勝手な要望がありましたが、その要望通りになって何とラッキーであったかと胸をなでおろしています。
2022年 189人
2023年 195人(前年比3%増)


10/7 初日のスナップ→ https://photos.app.goo.gl/BpGeLNJVKtM3j11Q8
10/8 2日目のスナップ→ https://photos.app.goo.gl/fnhnxncdjYN2MALn6

お客さんが作った Miniture Landscape in Ça va? 缶
~大量の流木、石礫の中から「鯖流木」を見つけ作品に組み込むセンスはただ者ではない~
 
今回、昨年に引き続き2回目の開催ということで他のブースを覗いたりする余裕が生まれるかなと思いきや、そのわずかな余裕が遊び心を増殖させ、それにかまけて余裕が無くなるという無限ループのサガに陥るのはまあ、自明と言えば自明であった。
ということで今回も北のクラフトフェアのブース巡りや北クラキッチンを巡る余裕が生まれるわけもなく、大したレポートも出来ませんすいません。
そこで今年は、北のクラフトフェアがどのようなイベントであるか観察して考察する代わりに、「箱庭」そのものの価値というか、自然体験或いはクラフト体験としての「箱庭」製作の位置づけについて考えてみようと思います。
 

七里長浜のビーチコーミング(その1/drifters)

津軽の七里長浜にビーチコーミングに来るのは何回目だろうか? 記録を調べてみた(その2で後述)。もう何回も来てると思ってたけど、今回で6回目だった。2019年以降、ワンデイトリップ含めた津軽旅行が13回にも達しているので混同していた。

そのビーチコーミングについて書いてみようと思う。

七里長浜出來島埋没林での夕陽(2022.11.12)


ビーチコーミングを訳す適切な日本語がない。
砂浜海岸 beach で櫛で髪をとかす combing ように、貝殻などさまざまな漂着物を拾い集めて観察しながら散策することとされる。本来の意味は、浜辺で売り物になりそうな漂着物を拾い集めることとされる。
Wikipediaによると骨董の世界では「海揚がり」と呼ばれたり、古くは「浜あるき」「灘ばしり」とか言って、浜辺に打ち上げられた魚介類や漂着物を拾って再利用する習慣は、ごく一般的に大和民族蝦夷アイヌが行ってきた生活習慣の一部であったらしい。

しかし、いろんなものを調べてもほぼほぼそれ以上のことは書いていない。

ja.wikipedia.org

 

七里長浜出來島埋没林の流木中心とした漂着物(2022.5.6)

 

ビーチコーミングは、あくまでもその名に示すよう、漂着物採取が大きな目的だし、もちろんそれは否定しない。しかし、何か大きなことを忘れていないだろうか?

それは何かと言うと、海岸を歩く行為そのもの自体 である。それは古くから行われていたという「浜歩き」に通ずる。

山登りで登路を進む先には山頂があり、その過程の山歩き自体が大きな目的になるように、或いは魚釣りが目指す大物釣りには、釣りを通して得られる魚との駆け引きが重要なように、ビーチコーミングで得られる漂着物に行きあたるためには、海岸を歩く行為そのものが重要になるのである。

 

七里長浜マグアビーチの漂着物(drifters)(2020.11.20)
雑然とした大量の漂着物と水平線上の大気の清廉さを示す光芒(Jacob's Ladder)が好対照

 

歩く過程でいろんなことに遭遇する。
山歩きでは困難な斜度、毒虫、汗、風雨、危険植物、疲労他障害物がたくさん、
魚釣りでは根掛かり、水濡れ、竿と糸の扱い、外道による餌の横取り他にたくさん、
ビーチコーミングでは押し寄せる波、打ち上げられた魚の死骸、容赦ない日射、歩行困難なプラスチックごみや流木の障害他たくさん。

様々な障害に打ち勝ちできるだけ効率よく目的の成果を得るには、足の運びのちょっとしたコツを見つけたり、身体の動かし方を工夫したり、進む経路を見極めたりと、実は無意識ながらやることが山ほどあるのである。だから無心になってそれらの事態に対処しなければならない。このような無心になれる行為に身を置くことによって、我々は日々のストレスから解放されるのである。

だからビーチコーミングの重要で本質的な側面である歩くことを、もっと自覚しなくてはいけないのだ。

 

いや、意識しながら歩けというのではない。むしろそんなことをしたら何のためのビーチコーミング(漂着物拾い)か分からなくなってしまう。
ただ、ときたま漂着物を探す手と足と目で追うのを止め、水平線に眼を上げてみよう。一瞬自分がどこにいるか分からなくなるだろう。
頬を撫でる風を感じてみよう。目を下にしているときとは気が付かなかったやさしさときびしさを感じるだろう。
波の動きを目と耳で追ってみよう。太古の昔からたゆみのない地球の躍動がそこに息づいているのを感じるだろう。

この感覚はかなり新鮮な体験である。歩き始めたところから遠くそこまでやってきたことをそこで初めて自覚するのである。

そして海岸を歩いていてふと我に返る体験をしたことがあるあなた! 貴方は、ビーチコーミングにはまって(浜って)しまったことを思い知らねばいけないのです。

 

youtu.be

 

しばしば海岸では大気光学現象も目の当たりにします。これはビーチコーミングやっている者にとって、海岸歩いて我に返る瞬間、いやそれ以上の歓びの瞬間でもあります。

youtube.com

 

 

閑話休題、今回(2023.5.3)の成果は、、、

左:拾ったpebbles、中:黒曜石礫、瑪瑙、緑色片岩のかけら、右:シグナル礫
出來島海岸で拾った漂流物とその出來島海岸で見つけたObsidian pebble(黒曜石礫)

 

七里長浜マグアビーチに集まったホホホの森探検隊 Seven drifters(七人の放浪者たち)

 

そういえばオードリー・ヘップバーン主演の映画「ティファニーで朝食を」の挿入歌に♪ムーンリバーって有名すぎる曲があるけどその中にこのような一節がある。

Moon River, wider than a mile,
I'm crossing you in style some day.
Oh, dream maker, you heart breaker,
Wherever you're going I'm going your way.
 
Two drifters off to see the world.
There's such a lot of world to see.
We're after the same:
Rainbow's end, waiting 'round the bend,
My huckleberry friend,
Moon River and me.

言わずもがな、Two drifters ってマーク・トウェイン作の小説に出てくる放浪者トム・ソーヤーとハックルベリー・フィンのことだけど、ホホホの放浪者たちが流木(drift wood)を拾い集めている光景を見て、どうしてもこの曲が脳内再生されてしまうのである。

 

www.youtube.com

 

余談ですが漂着物学会ってのが薩摩隼人の地、鹿児島大学にあって、それなりに活動しているようでなんかちょっとうれしくなります。その会長の方が作った「漂着物学会」の造語を driftology って名付けていて、我が意を得たりの感あり。

drift-japan.net

 

では今日はこの辺で
えっ、ホホホの森探検隊とビーチコーミングと何が関係あるかって?

 

フフフフフ(その2に続く)

ホホホの森探検隊2023年度の活動

ホホホの森探検隊の2023年度の募集ビラができました。

https://photos.app.goo.gl/hPQL89V1L5mPD8Ry8

各回の参加申し込みや質問などはビラに示すQRコード(申し込みフォーム)からアクセスできますが、ココからもお申し込みできます。 ↓

docs.google.com

 

またこのブログ自身の拡散も歓迎です ↓

https://hohohonomoritankentai.hatenablog.com/entry/2023/04/10/164926

 

さてここでは、ホホホの森探検隊の ①毎月の活動についてSNSによる情報発信③スタッフによる共同運営について簡単に説明したいと思います。

 

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ホホホの森探検隊@北のクラフトフェアへの道

昨年、ホホホの森探検隊は「北のクラフトフェア」で子どもたちへの遊びのイベントを事務局から頼まれ、それではと子どもたちとネイチャーアートを会場内で展開するとともに、ブース内で箱庭枯山水を展開し、多くに皆さんに楽しんでもらうイベントを展開しました。その記録をあらためてこちらのブログに掲載いたします。

北のクラフトフェア入口の Welcome Board

北のクラフトフェアが2022年10月8・9日の両日開催されました。そこに出店したホホホの森探検隊の出店までの経緯や周辺のまつわる話について書いていきたいと思います。次の見出しをクリックするとその段落に飛びます。

その1 ホホホの森とは?

その2 みんなの会とは?

その3 北のクラフトフェアに向けて(ホホホの森探検隊の動き)

その4 北のクラフトフェア1日目

その5 北のクラフトフェア2日目

最後に

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ホホホの森たんけんフィナーレ(解答ブログ)

ホホホの森探検隊は新たにはてなブログをはじめました。

2022年度最後の開催となる3月18日、「ホホホの森たんけんフィナーレ」と題し、1年間親しんできた公園の隠れた魅力をあらためて掘り下げるとともに、新たなモリヴィア(盛岡+トリヴィア)を巡りました。その活動記録、というか答え合わせです。随時校正しておりますので次に見たときちょっと表現が変わっているかもしれませんがどうかご容赦を。

第3回目のホホホの森たんけんマップ

今回の「ホホホの森たんけん」は全部で20問あります。1問ずつ解説してまいります。

 

①おしろ全体が北からちょっと東寄りひがしよりに向いています。この意味は何?

岩手公園と愛宕山そして付け替えられる前の北上川(青の矢印)

上は1911年の国土地理院こくどちりいん地形図ちけいずです。
簡単に説明します。岩手公園の城郭じょうかく愛宕山あたごやまの方を向いています。上の地図を見てください。愛宕山総本山そうほんざん京都きょうと愛宕山みやこ北西ほくせいに位置していますが、盛岡では都の北東ほくとう位置いちしています。

愛宕山愛宕神社あたご因じんじゃ)は火伏の神ひぶせのかみであると同時に戦の神いくさのかみでもありました。これは愛宕信仰あたごしんこうと言い修験道しゅげんどうにも関係かんけいします。戦に備えて防御ぼうぎょ重視じゅうしした南部の殿さまは愛宕山あがたてまつったと想像そうぞうされます。

ちなみに、本州で盛岡より北にある愛宕山はわずか2箇所で、一つは八幡平市大更はちまんたいしおおぶけにある愛宕山、もうひとつは青森県むつ市脇野沢あおもりけんむつしわきのさわ愛宕山です。脇野沢の愛宕山は、日本海側を中心に全国を渡り歩いた北前船きたまえぶねがもたらしたものと想像されます。志波城しわじょうが盛岡にきずかれて以来いらい蝦夷えみしから大和やまとの国に去勢きょせいされて行く悲哀ひあい?が、ここでも見ることができます。

なお蝦夷えみしの国北海道には愛宕神社が3~4社ありますが、これは蝦夷たちの信仰しんこうでは決してなく、脇野沢と同様、北前船寄港地きこうち江差えさし上ノ国かみのくに)なのです

愛宕信仰 - Wikipedia

 

(ルビを付けるのがはてなブログではとても面倒なので、これからルビ無しで行きます。スミマセン)

 

⑪古い北上川はどこを流れていた?

上の地形図に北上川が流れていた時の痕跡を見ることができます。旧河道とその低地部分が、地下水位が高いのか水田になってます。現在の位置に付け替えられたのは江戸時代中期の延宝3年(1675年)、石垣普請の第3期にあたり、河道の付け替えに伴って失われた盛岡城西側の要害性を取り戻すために、西側に新たに石垣が構築されました。

しかし、河道付け替えから200年以上経っても地盤の低湿な状態は改善されなかったんですね。

盛岡城内曲輪(城郭内部分)と旧北上川河道  ~史跡盛岡城跡保存管理計画書より~

史跡盛岡城跡保存管理計画書 第2章‐1 史跡の概要


②サトウカエデに樹液を採ろうとした傷があるよ。どこ?

この傷(バッテン)は少なくとも2006年には付いてました。実際に行ってどこについているか確認しましょう!

バッテン ×

③ほとんど埋もれかけた樹名板を探せ

ユリノキの樹名板が埋もれる

ユリノキの樹名板、はじめて発見した2006年には既に半分以上埋もれていました。なおユリノキはとても成長の早い木で知られ、このユリノキは今から56年前の昭和42年に植栽されています。
葉っぱが半纏に似ることからハンテンボクとかドンボクとかw、初夏に咲く花がチューリップに似ることからチューリップツリーの別名がありますが、用材としては軟らかくて軽く強度がでないためほとんど価値がなく、伐採されても薪や炭ですら用いられることがありません。

www.instagram.com

 

ユリノキの本数が人によって定まらないけど何本かじっさいに数えてみよう

37本あります。少なくとも2006年から変わっていません。

37本のユリノキ並木


⑤人知れず伐られてしまった樹々たち

樹木公園である岩手公園は盛岡市の石垣を強調する整備によって、どんどん樹種を減らしています。いわば節操のなかった樹木の植栽が、史跡盛岡城跡保存管理計画書 Ⅶ.整備・活用の方針  によって平成26年以降、どんどん整理されています。

2006年にまとめた48種類の樹々のうち、10種類が消滅しました。トサミズキは伐採されて
いませんでした。また本丸のカシワは皆伐されましたが二ノ丸にはまだ残ってます

史跡盛岡城跡保存管理計画書 Ⅶ.整備・活用の方針

樹木公園であった岩手公園が、石垣をかっこよく見せるためにどんどん余分な樹々が整理され、だんだん没個性化しているような気がします。観光客に被写体を与える石垣か地元民に安らぎを与える木陰か、の選択とも言えます。


アカバナマンサクを探せ

⑦1本だけ残ったマルバマンサクを探せ!

アカバナマンサクは黄色いマルバマンサクの花を赤く改良した品種で、東北では山に自然状態で咲いていることはありません。マルバマンサクは岩手に多いオオバマンサクの日本海側の変種とされています。
3月になると鶴ヶ池の上に咲き誇る黄色いマンサクの花がよくローカルテレビのニュースで取り上げられたましたが、ほとんど伐採されたためもうテレビで季節を知ることも叶わなくなりました。

アカバナマンサクとかつてのマルバマンサク
アカバナマンサクに間違ってつけられたマルバマンサクの樹名板)

⑧石垣由来の鉱物がたくさんある場所はどこ?(その鉱物は何?)

ここからの3問は全て烏帽子岩とその周辺に関わる問題です。階段で烏帽子岩近傍まで登ってみましょう。

GoogleMap3Dでの烏帽子岩 Bird's Eye View

階段を登りきるとそこの地面に何やら金色の鉱物が散らばっています。この写真を撮った時は折しも雨が降っており、地面をつたう雨水の中で余計キラキラ光っています。

金色に光る鉱物は花崗岩である烏帽子岩由来の黒雲母(風化して金色に光ってる)

ということで烏帽子岩周辺には黒雲母が沢山集まっています。石垣由来としたのは烏帽子岩を特定されたくなかったからですが、石垣の石は烏帽子岩近傍からも取られておりあながち噓ではありません。なお、賢治も採取した蛭石は、この黒雲母が変質したものです。(蛭石についてはまた今度詳しく)

 

⑨岩手公園でお城がつくられた時からある(と思われる)最も自然が残る場所はどこ?

烏帽子岩の脇のココです。都市公園で笹が生い茂っているところってまずないでしょう。

前は木立ちもあったのに伐採してしまった

セキレイ君の説明で大きな間違いがあるよ。それはどれですか?

2006年に盛岡樹跡公園ガイドマップが岩手公園開園100周年を記念して整備され、それとともに岩手公園の愛称が盛岡城跡公園となりました。正式名称より愛称の方が長いという不思議な命名でしたが、盛岡を訪れる観光客には盛岡城跡公園という重箱読みが分かりやすいでしょう。ただ盛岡で生まれ育ったブログ主(いまのところKさんとしておきます)は、岩手公園の名称は簡単に捨てることができないことを申し添えておきます。

さて、この3回も改訂されたガイドマップですが、マップのセキレイ君がしゃべる言葉に大きな間違いがあります。それは烏帽子岩を転石」としているところです。転石であるためにはその石(岩)をそこまで移動させた何らかの営力が必要になります。しかし烏帽子岩を動かすような重力作用を生じさせる山は近くにありません。また洪水の作用で移動したとしてもモナドノックらしい烏帽子岩の標高まで水が出たとは到底考えられないのです。すなわち烏帽子岩はもともとこの場所にあり、節理に沿って風化した結果、地盤から切り離された独立した岩塊であると言えます。

節理によって根元から切り離された花崗岩烏帽子岩(決して転石などではありません)

それはないよね、この地図を監修した地質屋さん!

 

⑩キハダの大木の切株はどこ?

かつて亀ヶ池に向かう斜面にキハダの大木がありました。ここを通るときはいつもその存在を確認する樹でした。キハダの大木は盛岡市内でもあまりお目に掛かれません。市内でおがっているのは四十四田ダム湖畔くらいしか知りません。その樹が2018~2019年に伐採されてしまいました。

これがキハダの大木の切株です

盛岡在住の画家で雑誌「とりら」の編集者、飯坂真紀さんの2017年の作品「雲には銀の裏地が付いている」の中央ちょっと左寄りにそのキハダの大木が描かれています。エスポワールから描かれたこの作品、キハダがどれか分かりますね?

「雲には銀の裏地が付いている」2016年 飯坂真紀さん

⑫石垣が作られた時期の違い

現地で石垣普請時期の明らかな見た目の違いを示すことができませんでした。どこで違いが良く分かるか、宿題にさせてください。とりあえず2期と5期が接するお城南西の吹上門に上がる斜路の途中の石垣に残る痕跡と、公園広場(多目的広場=台所広場)からを示します。

石垣の普請時期は大きく5期に分かれる

吹上門に上がる斜路を緩くするために新たに石垣が組まれたの、分かりますね?

中央トチノキから左の二ノ丸の石垣が第1期、右の三ノ丸の石垣が第2期



博物学高橋喜平さんをしのぶ

沢内村出身の雪氷学者で在野の博物学者、高橋喜平さんは、身体が弱って病院通いを強いられた晩年、住まいを移したトーカンマンション不来方Google マップ、今更だけどマンションのネーミングのセンス Good!)から岩手公園に足繁く通っていました。喜平さんは樹々でいっぱいだった岩手公園の佇まいを愛してました。

今から33年前、1989年秋の様子が写真集『岩手公園の秋』に載っています。この場所を訪ねてみてこの33年間の変化を自分の目で追ってみましょう。

「岩手公園の四季」高橋喜平著より

⑭榊山曲輪の雑(ざつ)な石垣

榊山曲輪の入り口にはバリケードがあり、人の進入を拒んでるかのようです。ここは北上川の河道付け替えにより失われた盛岡城西側の要害性を取り戻すための石垣新規普請でしたが、必要以上の要害性がこの榊山曲輪にはあります。詳しい話はかみやまひとしさんの次の記事に譲りますが、榊山曲輪ができたおかげで、その背後の石垣は真面目に積み上げなくても前に突き出た三角形の榊山曲輪が抑えになって大きく崩れることはありません。そのため、榊山曲輪背後上方の石垣は、スカスカでいい加減、もとい適当に、もとい御座なりに積み上げられています。

my-michi.com

いい加減に積み上げられた榊山曲輪背後の布積みの石垣


⑮本丸門脇の粋(いき)な石垣

石垣普請第1期に積み上げられた本丸の石垣は野面積みの整然として嚙み合わせの良い石垣になっています。個人的な好みを言いますと、この本丸東側の石組みが、盛岡城跡の石垣の中で”いちばん”好きです。

野面積みの堅牢な石垣(落ち葉と苔が石垣の美しさを際立ててある)

 

⑯殿様がかつて見ていた山

南部家初代南部信直によって不来方城の跡地に築城がはじめられた盛岡城ですが、第3代藩主、南部重直の代になって寛永10年(1633年)、一応の完成を見ました。この盛岡城に居城した殿様は第4代の重信以降になりますが、その殿さまたちはこの山並みを見ていたことでしょう。

カシミール3Dによる展望シュミレーション

このシュミレーション通り、本丸から城郭方向である二ノ丸通路方向(北東方向)の向こうに、愛宕山がかろうじて今でも見えます。手前の建物は岩手医大、煙突のようなものも岩手医大の敷地内にある尖塔です。

本丸から二ノ丸通路の向こう正面に見える山、愛宕山

 

⑰こんなところに枯山水

二ノ丸に枯山水が仕込まれてました



⑱みんなで箱庭ゲリラインスタレーション

この切株はホント枯山水を「どうぞここでやって下さい!」と言わんばかりです。

3/18の土曜にやった枯山水、出来が良くて4日後の3/22もそのままの状態でした

完成を記念して

⑲木登りにてきした木、カエデ

これね。全然やらなかったね。またあとでね。